業界の脇道を歩き続けてきた男が己の言葉で語った渋谷のコト
『warp』が注目の俳優にフォーカスする企画「cover story」。今月は類まれな演技力と人間力を持ち合わせ、もはやワールドスタンダードな存在感を放つ窪塚洋介がひさびさに登場。多感な時期に多くの時間を過ごし、実際に住んでいたこともあったというココ渋谷について、彼自身の言葉でたっぷり語ってもらった。
photo: Yoko Kusano hair&make: Shuji Sato(botanica)
special thanks: BROTURES HARAJUKU
warp(以下、W) 今回が渋谷特集ということなのですが、渋谷について率直にどんな印象を?
窪塚洋介(以下、K) 渋谷は俺にとって特別な街。実際、19歳~24歳くらいまでの5年間ほど住んでいたから。そういえば当時、同じマンションにマ○○ル富岡さんも住んでいたらしいけど、1度も会ったことなかったな(笑)。
W そうだったんですね(笑)。そのころの作品でいうと、どのあたりに出演されていた時期ですか?
K あの当時主演させてもらった映画『凶気の桜』などは、思いっ切り渋谷が舞台の右翼少年の話でしたね。音楽はK DUBSHINEが担当していたし。「渋谷をリアルに撮ろう」ということで、「このラブホテルを抜けるとココに出てくるよね」というところでちゃんと出てくるし、「そこの角曲がって逃げたらそこに出るね」みたいなのを全部リアルに撮っていたから。そういうリアリティが半端じゃなく詰め込まれた映画でしたね。最後に「オレの街だからさ、渋谷」というセリフがあったんだけど、それはもう、どこか本当の気持ちで。渋谷は生まれた場所ではないけど、多感な時期に4~5年住んで、遊ぶのも渋谷だったし、街中の移動もスケボーやBMXだった。新宿や池袋よりも、やっぱり自分は渋谷でしたね。まぁ池袋が舞台の作品に出ておいてナンですが(笑)。東京の中でもとりわけ思い入れのある場所です。
W 初めて来たときのことは覚えていますか?
K 初めて来たのは中3のころ。確か仲間と買い物をしにだったかな。連れのお姉ちゃんがすごくオシャレな人で、その人に「カッコイイ人がいたら、とにかくその人の後についていけ」というアドバイスだけもらって(笑)。その人が入る店で買い物すればいいんだよって。実際そういうことも実践した気がする(笑)。
W 意識的に渋谷に来るようになったきっかけは?
K やっぱり「HARLEM」(※円山町にあるクラブ)の存在が大きいかな。当時はHARLEMから仕事現場に行ったり、そこからまたHARLEMに戻ってきたりって常に中心の場所だったから。それこそ“HONEY DIP”や“DADDY’S HOUSE”といったイベントがすごく人気があって。懐かしいね。
W 渋谷の中で個人的に思い出の強い場所はありますか?
K そうだな……円山町は本当に当時うろうろしていたから、あのエリアはやっぱり思い出深いですね。夜の思い出(笑)。あとは、とりわけ個人的なエピソードがなくても、これだけスピード感を持って街が変化していく中で今も変わらず残っている場所には自然と愛着がわく。例えば百軒店もそうだし、タワレコとかもそう。俺らが高校生くらいのころからずっとあるからね。最近でいうと「SOUND MUSEUM VISION」かな。今東京で1番盛り上げるハコだと思うし。いい思い出とか、ここでは言えないような失敗談とか、無数にエピソードがある街ですね(笑)。
W それこそVISIONでは、2015年の20周年パーティでの公開プロポーズが話題になりましたよね。あれは事前に決めていたんですか?
K 全然(笑)。あんなに話題になるとは思っていなくて。すでにあの前にプロポーズはしていたし、本当に余興的な感じだったんですよ。
W その場の勢いというか。
K そう。でもPINKYがすごくピュアな子で、あのときも本当に泣いちゃったからそういう風に見えたという。なんならそれまでに何回かプロポーズしているし(笑)。パーティの余興で盛り上がるかなくらいの感じでやったんだけど、あとであんなにSNSで話題になるとはまったく想像もしてなかったんです。もうちょっとしっかりやっておけばよかったなと(笑)。
Supremeのベースボールシャツ/Supremeのシャツ、DUPPIESのデニムジャケット、SUNKAKのサングラス、SPEEDFREAKのバイカーパンツ、ROLEXの時計(すべて本人私物)
W なるほど(笑)。そういえばこの間、渋谷で初のトークショー“のんべんだらり”を開催されましたよね。ああいった形式のトークショーは以前から企画していたんですか?
K あの形を明確にイメージしてたわけではないけど、以前からライヴのMCとかでバーッと長く喋っちゃうときがあって。こんなに喋るんだったら、トークだけのイベントがあってもいいなとずっと感じていたんですよね。結果すごく好評をいただいて嬉しいです。きわどい質問に対しても、重すぎず、軽すぎず、わりとうまいことまとめられたかなと自画自賛してます(笑)。
W 世の中にすごく言いたいことがあって、そういう欲求がたまってトークショーをやり始めたのかなと。
K もちろんそういった気持ちもあったしね。伝えたい欲求もあったし、やりたいという気持ちもあった。それを伝えいく形式はあまり関係なくて、例えば今はディナーショーとかもちょっと興味あるし。アコースティック音楽のディナーショーみたいな感じとかね。
W 基本的に台本がないし、質問に対して即興で答えを出すのってすごく瞬発力や判断力が必要ですよね。本当の意味で自分を確立できてないと、そこに立つことって難しいんじゃないかと。
K いちアーティストという時点で、それを実際やるやらないは置いといて、やれないとおかしいと思うんですよ。自分のメッセージを人に聴いてもらって感動させる。良くも悪くも人の心をムーブさせる。そのためにはそれだけ自分自身や世の中と向き合わなくちゃいけないし、その結果生まれてきた結晶が曲だったりするハズだから。要は、その手前で起こっていることをトークショーとしてやっているだけ。ただ、俺自身がずっとそういう作業が好きっていうのもある。自問自答みたいなものが子どものころから好きで確固たる思いや考え方がある、だからそういう即興的なのがちょっと得意ではあると思う。トークショーのほうが自由に、自分が感じていたことを話せる。その場では水を得た魚みたいになっちゃうんだよね。
W 実際にトークショーをやってみて良かった点と、これは思っていたのと違ったなという点はどんなところですか?
K 正直良かったことが99%くらい。1%だけ悔いが残ったのは、イントロで俺が出てくるまでの曲順が事前に決めておいたものとバラバラだったこと(笑)。アルバムの曲順通りのつもりが、なぜか超ランダムに流れてしまってて。最後の曲でバンと出ていくイメージだったのがうやむやになっちゃった。仕方ないからとりあえず出ていって、1度その空気を全部ぶっ壊しちゃおうと思って、冒頭は「コンバンワミナサン」みたいな宇宙人っぽい声でずっと喋った(笑)。でも、当たり前だけどその場には俺の話を聞きに来てくれた人が集まっていたので、みんな前のめりで聞いてくれる状態になっていたし、どうしたって話しやすい。とにかく嬉しかったですね。
W 実際トークショーを終えて、周りからの反応はいかがでした?
K みんな「落ち着いててさすがだね」って言ってくれて、それはそれでありがたいんだけど、でも俺はそんな次元で話していないというか。その場で発している1つひとつが曲になっても、それはくだらない曲も中にはあるけど、すごく人生を変えるような曲になる話もしているつもりで、俺はあの時間を過ごしていたから。ちゃんと来てくれた人の血肉になってもらえるように、どの質問に対してもそういう落としどころを目指したつもり。自分の中で最初から明確に目標位置が見えていたんです。そこにスムーズに入れられたり、ちょっとズレたり。それが自分でもやっていて面白いなと。そもそも「トークショーやります」って言って口下手だったらどうしようもないからね(笑)。
W でも、実際にそういう人もいると思うんです。
K 最近の若い子と言っちゃうとすごくオジさんっぽいけど、売れてるのにモノマネばっかりだったり、大人たちの金儲けのために作られた“サブキャラなのにメインキャラに仕立て上げられちゃった子”たちって世の中いっぱいいると思う。逆に本来のメインキャラがサブになっていたり。日本の業界ってそういうとこあるからね。俺は奇跡的に窓際を歩いてここまで来れたけど、どっぷりやっていくと、どうしてもがんじがらめのルールの中に巻き込まれて好きなことを言えなかったり、発想すら自分の自由にできなかったり。「こういうことを思っちゃいけなかったんでしたっけ? 社長!?」みたいな(笑)。もしバビロンに都合の悪い真実を言おうとすると、キチガイ扱いされたり、干されたり(笑)。
W そのくらい縛りが強い世界だと。
K ああいうのを見ていると物悲しくなる、というか。だけどそういう世界も知れた分、余計に自分らが本当にやるべきこと、やりたいことが今はより明確になったかな。繋がっておくべき人、繋がっていたい人というのがよりクリアになっている。現代って上っ面の部分でしか物事を見れない、浅はかな世界になっている分、すごくディープに付き合っている人もいるから。何を大事に生きていくか、というのを改めて再認識できていると思う。
WTAPSのデニムジャケット、カーゴパンツ、M.V.P.のパーカ、MANIERAのハット、BROTURESのサングラス、NIKEのスニーカー(すべて本人私物)
W 自分で身の回りをちゃんとコントロールできるのはすごくいいことですね。それって一般社会でも同じことだと思います。
K そうだよね。こうやって自分のファミリーもできて、仲間もできて、しっかりと役割分担やフォーメーションが組まれている。10年前よりはるかにやれることが増えているし、バランス感覚もより研ぎ澄まされているというか。そういうことを含めて、年々楽しくなっていますね。最初はすごく狭き門だったから逆に良かったのかな、今は広がる一方だし。19~21歳くらいのときは2ちゃんねるとかが出始めて、その中ではボコボコにされているんだけど、現実世界ではずっと渋谷にいたから体感しなくて済んでいたのかもしれない。あまりにも現実が楽し過ぎちゃって気にもしていなかったからね(笑)。
W 渋谷や原宿ってある種の結界というか、独自のコミュニティや価値観が育まれてて、時にはそれに守られている感じがあったのかもしれないですね。
K そういう空気感というか、あのとき吸えた空気みたいなものが未だに力をくれるし、今もいろいろなものごとに繋がっている。例えば今ロンドンに行くとなっても、昔からの渋谷界隈の仲間が「ロンドンに誰々がいるから伝えておくわ」みたいな感じですぐ繋げてくれる。当時からのコミュニティが世界にも直接繋がっていて。どこに行っても同じような価値観を持つ人と出会えるのってすごく幸運なことだなと思ってます。俺は渋谷にいたことで世界に繋がっているという感じがありますね。
Supremeのパーカ、デニムパンツ、キャップ、POLICEのサングラス/Supremeのニットキャップ、ベースボールシャツ(すべて本人私物)
- 窪塚洋介 Yosuke KUBOZUKA
神奈川県横須賀市出身。第25回日本アカデミー賞では新人賞と、史上最年少で最優秀主演男優賞を受賞する。その類い稀な演技力は、マーティン・スコセッシが監督を務めた自身初のハリウッド作品『沈黙 -サイレンス-』でも大きな評価を獲得。一方では卍LINEの名のもと、レゲエアーティストとして10年以上活動を続ける、日本を代表する表現者の1人。現在は新作邦画、海外作品の準備に入る他、自身の著書『コドナの言葉』が6月7日(木)に発売予定。また6月8日(金)には、その出版記念トークショーを大阪で開催予定だ。