In The Streets of Indonesia

インドネシアとスケートボード。僕らには想像がつかないこのシーンで起こっていること。知れば知るほど、このストリートカルチャー、とりわけスケートボード文化というものに固定概念や先入観が不要なものだと実感する。現地では今、一体何が起こっているのか。フォトグラファーのMIYU FUKADAが彼らを追った記録。

スマトラ島の田舎、パダン出身の27歳。一見物静かな彼だが、気を許せる友達といると、冗談を言って笑う一面もある彼。

 

サッカー少年だった彼が15歳から始めたのがスケートボードだ。友達が家の前でしていたスケートボードに興味を持ち、放課後毎日スケボーの練習を始める。わずか1年で初出場のスケート大会で優勝。2010年に自身初めてとなるスポンサーとして「Quicksilver」「DC INDONESIA」のサポートを受け、大学進学のために隣の島、ジャワ島西部に位置するバンドゥンに引っ越したものの、スケートに専念するために中退。名前を知られるには大会に出場して実績を残すしかないインドネシアのスケートシーンで、次々と好成績を残していった。今では大会から離れ、「Converse Cons APAC」のチームメンバーとしてアジア中をツアーで回り、そのツアー中に出会ったタイのスケートブランド「Preduce Skateboard」から2016年末に初のシグネチャーデッキもリリース。ビデオパートをリリースしたときに正真正銘のプロとなった。

 

スケートボードで精力的に活動する傍ら、インドネシアで絶大な人気を誇るロックバンド、The Sigitのボーカルであるレクティ(彼もスケーター)のアディショナルギターも務めながら、インドネシア各地でプレイしている。2015年には新たにmoonerというバンドを始め、楽曲も自分たちで作っている。暇さえあればスケートビデオを観ている彼は、ビデオに使用されている音楽が好きで、ギターに興味を持ち練習し始めたのだそう。いずれは、自分のビデオの音は、すべて自分が作った音楽を使いたいと話してくれた。