Life Between the Exit Signs 06:THE LETTER
LAをベースに活動するフォトグラファー、飯田麻人が送るフォトダイアリー。世界から注目されるクリエイターから、まだ世にはあまり出ていない新鋭クリエイターまで。彼だから覗ける、LAのリアルな"日常と遊び"の記録。photo:Asato Iida
僕は小さいころ、兄貴の影響でヒップホップ、スケート、グラフィティなどといったストリートから発信されるカルチャーに興味を持つようになった。だから、西海岸ロサンゼルスが間接的にでも僕に与えた影響は大きかった。そのロサンゼルスに引っ越してきて早くも8年が経過し、気が付くと僕はカメラを持ち様々な人間をドキュメントするようになっていた。今回はそんなロサンゼルスをもっとよく知るために、ロサンゼルスで生まれ育ち、ヴェニスのローカルギャングメンバーとして数え切れないほどの物語を体験してきた西海岸カルチャーの若き生き証人である、「BORN X RAISED」のディレクター、スパントに会いに行ってきた。
彼は懐かしむように当時の話を少しばかり教えてくれた。彼が育ったロサンゼルスは今とはまったく異なる世界だったそうだ。近年再開発され、高級で綺麗になってきた現代のこの街とは異なり、怠慢で自由で、楽しさを求めるスケーター、サーファー、パンクロッカーやギャングなど、様々な若者の巣窟となっていたヴェニスは彼らの楽園であり、ロサンゼルス暴動の起きた’92年以降の10年程は、彼ら西海岸のローカルにとって黄金期だったようだ。彼がまだ13歳のころ、年上の連中に面白いものがあるから見に行こうぜ、と友人のサーフショップ近くのホステルへ連れて行かれると、お股にビール瓶が刺さり、お尻にはまだ火の着いたタバコが刺さったままうつぶせになっている女がいた。それを見てみんなゲラゲラ笑っていた。当時はそんなバカみたいなことが毎日あって、それこそ映画『KIDS 』のように(おそらくもうちょっと過激だが)ヤンチャでエネルギーに溢れていた。彼らには天国のような、そんな時代だったらしい。
しかし、良いことばかりではない。彼が手掛けるブランド「BORN X RAISED」の起源を尋ねると、27歳に1年間過ごした刑務所の中の話をしてくれた。受刑者の中にいつもトラブルを起こしている輩がいて、ある日顔と体を滅多刺しにされスパントの部屋の中で倒れていたらしい。それを見た看守は、スパントのことを証拠もなく問いただし、独房に閉じ込めリンチを繰り返した。「独房にいた2カ月の間、こんな生活からは卒業しないといけない、と自分しかいないその部屋の中で自分と対話をしていた。そのころから、出所したらこの生活から離れ、自分の生きてきた経験を生かし、ブランドBORN X RAISEDを始めると決めたんだ」。
時間が経つにつれ離れていく、彼が過ごした良き西海岸時代、青春時代にラブレターを書くかのように、スパントは僕たちが見たことのない物語を伝え続ける。