Photo:Shun Komiyama
Styling:Tomoya Yagi
interview:Showgo Komatsu
―――KANDYTOWNの一員として活躍されていますが、クルーとしての活動より前からソロでバンドの客演をこなしていましたね。まずはその経緯を教えてください。
Ryohu(以下、R):下北沢にガレージというライブハウスがあって、ズットズレテルズってバンドに所属していた時に何度かライヴをしていました。それが解散したあともラッパーだけど通っていたら、そこへ出入りしている人たちとプライベートで仲良くしてもらっていました。ある日、そのみんなと下北沢で遊んでいたら、大きな掲示板にBase Ball Bearの武道館ライヴの告知が貼ってあって、一緒にいた人に「これコイちゃん(Base Ball Bearのボーカル)だよ」って言われて、「え!? 武道館でライヴやる人だったの!?」って(笑)。
―――一緒に遊んでいたけど、活動については知らなかったわけですね(笑)。
R:当時はずっとHIP-HOPを聴いていたので、正直バンドのシーンをよく分かっていなかったんですよ。そして、あるタイミングでコイちゃんから「Base Ball Bearと一緒に曲をやろう」って声を掛けてもらいました。
―――ーラッパーとして、どういう感覚でライブハウスに通っていたんですか?
R:単純にバンドシーンが新鮮だったというか。向こうもそうだったと思うんですけどね。
―――昨年リリースされたEP『Blur』のビートが打ち込みではなく、生音中心になっていたのも当時の影響がありますか?
R:結構反映されていますね。
―――それまでの経験によって音楽の幅が広がったと。
R:当時、周りはNasとかRakimとかニューヨークのHIP-HOPばっかり聴いていたし、俺自身もそうでした。でもバンドと一緒にやるようになって日本語ロックや海外のバンド・サウンドも聴くようになって、いろんなジャンルの人と出会いました。20代前半でいろんな音楽に触れることができたのは刺激になったと思います。
―――KANDYTOWNで自分はどんな立ち位置だと認識していますか?
R:うーん……。俺としては、流行り廃りのないグッド・ミュージックを作っていかないと、って思っています。重いビートだけじゃなくて、普通の人が聴いてもいいなって感じるような音楽を作っているつもりです。俺以上に、よりHIP-HOPをやっているメンバーがKANDYTOWNにはいるので。俺はラッパーだけどラッパーじゃない、みたいな特殊な立ち位置かな。
―――『All in One』、『Blur』と2年連続でEPをリリースしていますが、今年もソロ活動で動く予定ですか?
R:もちろん! 次はアルバムを出そうかなと思っていて。もう2〜3曲くらいは完成に近づいています。
―――そのアルバムで今までにない新しいアプローチを考えていたりしますか?
R:今のところ、1曲だけでもバンド・サウンドのみで録ってみるのもいいかなって考えています。実際どうするか分からないですけどね(笑)。あと今までソロの曲だとメロウなテイストが割と多くて、去年1時間くらいのワンマンライヴをやった時に自分が飽きてきちゃったんですよ。「あーそろそろ上げる曲をやりたい」みたいな。だから、モチベーションを上げられる曲を織り込んでいきたいですね。サウンド面のコアなところでいったら、生音と打ち込みの混ざり具合を考えてやろうかなって構想しています。
―――個人的にですがRyohuさんのリリックって、情緒豊かに描写するワードチョイスが好きなんですよ。そのリリックのインスピレーションはどういうところから湧いてくると考えますか?
R:単純に日々の生活の中で、友達と遊んでいたり話していたりしている中での経験からですかね? あと映画のワンシーンとか視覚的に見たものを言葉にしたらどうなるんだろうって考えてみたり、本を読んでおもしろい言い回しを自己流に昇華してみたり。
―――製作中に行き詰まったらどうしていますか?
R:負けず嫌いなんで頑張っちゃいますけど、それでも出てこない時はお菓子を食べてみたり、散歩してみたりと気分転換が一番。そうしている間も頭の中で無意識に音が流れてきて、パッと「あ、この言葉だ!」って閃くことがあります。
―――考えていなくても浮かんでくるってことは、音楽がライフスタイルに浸透しているという証ですね。
R:そうかもしれないですね。トラック作っている時も、ふとした瞬間「あそこに足りなかったのはこの音だ!」って思いつくことがよくあります。でも、本当に無理な時は1回休憩時間を作って何も考えない時間を作ることも大事です。
―――息抜きも大切ですよね。これまでに音楽以外で熱中したのはありますか?
R:バスケは小5から高3までずっとやっていて、高校の時は厳しい部活だったし本気で打ち込んでいました。
―――今回着用していただいたのが”AIR JORDAN 3”で、マイケル・ジョーダンのシグネチャーモデルです。"バスケの神様"とも称される彼は、経験者からしてどういう存在でしょうか?
R:バスケのルールを知らなくてもジョーダンは知っているくらい有名ですからね。バスケをやっていた人からしたら絶対的存在。
―――Ryohuさんが現役でプレイしていたタイミングで、2度目のNBA復帰を果たしていますよね。当時リアルタイムで観ていていかがでしたか?
R:(ワシントン・)ウィザーズに復帰するより前から、(シカゴ・)ブルズ時代の活躍をネットやDVDで観ていたんですよ。だから、伝説となっている人がコートに立っているのをリアルタイムで観られていることに興奮したし、カッコよかった。小学生の頃、実際に”AIR JORDAN 12”を履いてプレイしていたし、最近ファッション用として”AIR JORDAN 12”のローカットを買いました。
―――そうなんですね! やっぱり”AIR JORDAN”シリーズは特別なものですか?
R: USのラッパーたちもよく履いているし、エミネムやドレイクがコラボレーションしているってこともあってHIP-HOPとの繋がりは強く感じます。俺の場合はバスケをやっていたから余計に思い入れがありますね。
―――その中でも”AIR JORDAN 3”はいかがですか?
R:シリーズの中でも認知度も高いし、誰もが憧れるアイコニックなモデル。エレファント柄やジャンプマンのロゴがシリーズではじめて採用されていて、"これぞAIR JORDAN"って感じですよね。
―――今年”AIR JORDAN 3”が生誕30周年を迎えます。それに因んで、どんな30歳の理想像を描きますか?
R:とりあえず海のほうに住んで、気持ちも健康も余裕のある生活を送りたい。ジョーダンが自身のカラーを持っていたように、俺も自分を見失わずに音楽をやっていたいですね。ラップに限らなくてもいいので新しい音楽に挑戦できていたらな、と思います。
JORDAN BRANDのTシャツ 4000円(NIKE カスタマーサービス)、Sasquatchfabrix.のジャケット 14万円(GARDEN神南)、VAPORIZEのシャツ 1万4800円(BEAMS HARAJUKU)、YSTRDY'S TMRRWのパンツ 1万9000円(vendor)、その他スタイリスト私物、価格はすべて税抜き表記になります。
今年で30周年を迎えジョーダンの誕生日でもある2月17日(土)に、晴れて復刻リリースを果たす”AIR JORDAN 3”。1988年に誕生した同モデルは、”NIKE AIR MAX”などを手掛けた伝説的デザイナー、ティンカー・ハットフィールドの手によるもので、その優れた機能とデザインはブランドとの契約更新をジョーダンに決断させ、今日へ続くシリーズのマイルストーンともなった一足。しかも今回は、NBAオールスターゲームで初お披露目された人気カラーウェイの”ブラックセメント”かつ、ヒールパッチに”Nike Air”のロゴが輝く17年振りのオリジナル仕様での復刻となり、スニーカーヘッズやバスケットボーラーを中心に早くも話題騒然となっている。