Photo:Tak Sugita
Styling:Masahiro Hiramatsu
Hair&make:Ryo Matsuda
Illust:Yuya Hashizume
HIP-HOPシーンなどとも関わりの深いホワイトの”NIKE AIR FORCE 1”は、レトロなムードで履きこなすのが気分。鮮やかなカラーを採用した90's感あふれるスポーティなアイテムも、シンプルな色・デザインだから自然にフィット。ホワイトのスニーカーってだけならコートシューズでも代用は効くけど、ボリューミーなシルエットによって生まれる存在感は”AF1”ならでは。
(左)VOTE MAKE NEW CLOTHESのコーチジャケット 2万円、√2 135°のハット 8000円(ともにUTS PR)、Leeのデニムジャケット 1万6000円、ワッフルTシャツ 4900円(ともにLee Japan)、Children of the discordance × NAOTO YOSHIDAのデニムパンツ 3万6000円(sAagara SHOWROOM)その他スタイリスト私物
(左中)PRAGMATICのコーチジャケット 2万8000円、FULL-BKのカモパンツ 2万5000円(ともに4K)、YOTA TOKIのニット 1万7000円(アドナスト)√2 135°のハット 2万8000(√2 135°)、その他スタイリスト私物
(中央)KIITのダウンコート 6万3000円、bukhtのボアロングライナー 3万7000円、トラックパンツ 2万3000円(すべてHEMT PR)、ROTTWEILERのニットキャップ 6500円(アドナスト)、その他スタイリスト私物
(右中)Wranglerのボアジャケット 1万8000円(Lee Japan)、HOLIDAYのベルト付きトップス 2万3800円(ホリデイ)、Omas Handeのパンツ 2万7000円(アドナスト)、√2 135°のベレー 6800円(√2 135°)、その他スタイリスト私物
(右)bukhtのコート 4万1000円、HBNSのニット 2万800円、KIITのトラックパンツ 2万8000円(以上すべてHEMT PR)、その他スタイリスト私物
今年35周年を迎えた”NIKE AIR FORCE 1”だが、色褪せぬその魅力はモダンなスタイリングとも好相性。特にクリーンなホワイトは全体の印象をギュッと引き締めると共に、さり気なくトレンドのストリート的エッセンスをプラス。秋冬のスタイリングに合わせるならアクセントとして持ってくるのもイイが、ホワイトのアイテムを色合わせで使ってみても面白いかも!?
(左)KIITのコート 5万5000円(HEMT PR)、PRAGMATICのコーデュロイパンツ 2万円(4K)、その他スタイリスト私物
(左中)ETHOSのコート 8万円、サーマル 1万8000円(ともに4K)、bukhtのシャツ 1万9000円、KIITのレザーパンツ 7万5000円(ともにHEMT PR)、ROTTWEILERのニットキャップ 6500円(アドナスト)、その他スタイリスト私物
(中央)WRAPINKNOTのコート 4万9000円、タートルネックニット 2万9000(UTS PR)、THE Dallasのデニムパンツ 4万円(4K)、その他スタイリスト私物
(右中)YOTA TOKIのジャケット 6万2000円(アドナスト)、wonderlandのVネックトップス 1万7000円、ワイドパンツ 2万5000円(ともにnot wonder store)、その他スタイリスト私物
(右)NIKE SPORTSWEARのブルゾン 2万5000円(NIKE カスタマーサービス)、WRAPINKNOTのスカート 3万5000円、√2 135°のベレー 6800円(UTS PR)、その他スタイリスト私物
ブランド初となる”NIKE AIR”を搭載したバスケットボールシューズとして1982年に誕生した”NIKE AIR FORCE 1(以下AF1)”。米大統領専用航空機のコードネームを冠する同モデルは、名に恥じぬハイクラスなクッショニング性能で多くのプレイヤーのパフォーマンスに貢献。中でも、それを駆りシーズンを戦ったモーゼス・マローンは、所属チーム”フィラデルフィア・76ers”をNBAファイナル(1982-83)での優勝に導き、”AF1”は劇的な成功譚と共にストリートを中心としたマーケットからも歓迎される。
だが、様々な理由により1985年頃に、”AF1”はその人気振りとは対照的にマーケットから姿を消す。しかし、それにいち早く反応したボルチモアの3つのショップが、ファンの要望に応えるべく”AF1”の再販売を直談判。要望を受けた「NIKE」は交渉に応じ、”AF1”は想像を上回る人気で完売が相次ぎニューヨークと言った都市も巻き込んで今日に続く1つのムーブメントを形成していく。
そして、時の流れと共にバスケットボールシーンはハイテクシューズへ舵を切っていくが、”AF1”はアーティストと言った時代のアイコンを新たな旗手としつつ、豊富なカラー展開によってシーンや都市、お気に入りのチームを象徴しユーザー同士を繋ぐアイテムとしてストリートに根付いていく。
とは言え、35年という長い歴史の中で多種多様なカラーやデザインが生まれてきたというのに、なぜオールホワイトの”AF1”がこうも支持を集めてきたのだろうか!? 確かに多彩なスタイリングにマッチするその佇まいは、至高の物とも言えるがあくまで1つのカラーバリエーションであることも事実。しかし、先にも触れた音楽やストリートとの繋がりを紐解くと、その理由の一端が見えてくる。
HIP-HOPシーンでは白い”AF1”の愛好者が多く、あの有名音楽プロデューサー・Dr. Dreは、今でも常に新品でフレッシュな”AF1”を履いているという噂があるくらいだが、”AF1”が誕生した当時のストリートシーンには、サクセスの象徴として常に綺麗で新しいモノを身に着けると言った独自の文化が存在。それゆえ、入手困難であった”AF1”の白を常に磨いてキレイに履きこなす行為が当時のストリートのマナーであったことは想像に難くない。そして、それが先鋭化していくことでオールホワイトに行き着いたと考えれば今日の人気ぶりにも納得がいく。
もちろん、これはあくまでHIP-HOPを中心としたストリートでの話だが、白い”AF1”をベースにした壮大なコラボプロジェクト”AF-100”に各界の重要人物がコラボレーターとして名乗りを上げるのを見るに、各シーンとリンクしつつも何ものにも染まらない白い”AF1”は多くの人にとって特別な1足であることは揺るぎない事実のようだ。