改めてプロジェクトに向き合ってみる

現在僕が行っているランニングプロジェクト”THE WILD ONE”。このプロジェクトはアメリカを一周するっていうやつなんだけど、

具体的には第一クール/サンディエゴ~シアトル(2,030km)
第二クール/シアトル~ボストン(4,900km)
第三クール/ボストン~マイアミ(2,400km)
第四クール/マイアミ~サンディエゴ(3,500km)
という行程を走るプロジェクトです。

 

現在は第四クールの真っ最中でマイアミから700km走ったタラハシーという場所まできています。

 

残りは3,000kmをきってきているんですが、どうしてここまで走ってこれたのか? この先どうやってはしっていこうか? そういうことは正直ほとんど考えずにここまできました。なぜ考える事をしなかったのか?それは言葉を言い換えるなら考えずにいくしかなかった。というのが正しい言葉かもしれません。
僕は今までアスリートではなかったので勝負とは無縁の場所にいました。僕のいた職業は物を作って世に出し消費者に喜んでもらう仕事。これはある意味そこがゴールのような、そのゴールを切った瞬間にスタートを切るという連続の仕事でした。
そんな中、全く違うフィールドに我が身を置きこの壮大な道のり、見えないゴールというのを追い求め走り続ける。これは想像を絶するものでした。
ましてや自然の中を常に走り続けるわけですから人間が必要とする休息の場をいうのは時に何日も与えられない。。そんな日が続く事がザラにあります。
本当に辛いをいう言葉すらなんの価値もないものだと思うくらい過酷なものでした。
でも僕はある時期からこうした環境の中で走り続ける中こう考えるようになりました。
「もう全てを真摯に受け入れようと…」

 

それは僕にとってとても大きな変化でした。
第三クールを走っている時にふと、精神っていうのは限界があると思ったんです。少なくても僕のレベルではそうなんです。幾度となく精神を追い込まれてきてその度に幾度となく重いものを背負って走り続けてきましたがここまで来れた。でも結局はそういった重圧は抱えて走っているんです。だから僕はある時期からそこから逃げず受け入れながら前に進もうというふうに決めたんです。そして僕はその時期から精神的な面を技術でカバーするという挑戦に入りました。

 

技術というとカッコいいかもしれませんが走り方というよりは精神を配分するという技術ですね。
当然そこには身体が五体満足というのが絶対条件にはなるのですが、自分の内面をコントロールする技術というのは人それぞれあると思います。僕は見えないものを変に見ない&考えない、見てきたものを蘇らせるといった作業を行うようにしてます。言葉にするとかなり安っぽく聞こえますがこの作業はこのプロジェクトにはとても有効に働きます。安っぽく聞こえると言ったのは内面をコントロールするという事自体は単純行動だと思うからです。
でもこのプロジェクト、この環境の中この作業を心から得る事というのはとてつもなく困難なのです。
でも今第三クールまで走り終え、かすかにですがゴールが見えてきた今、こうした感覚を得る事が出来ると確信したが故、こうした行動を実践してきているわけです。

 

このプロジェクトが個をどう変化させるか?これは始める前から楽しみにしていたものだったのですが、現時点で自分を良くも悪くも大きく変化させていると感じています。具体的な変化を今言葉にするとそれは変なプレッシャーになりそうなので今は言いませんがゴールした時伝えたいと思っています。

 

残り2,700kmくらいかな。。。

最後まで頑張ります。応援宜しくお願いします。